フランダースの犬

 

かつてベルギーの首都ブリュッセルから列車に乗って、北に50km程のところにあるアントワープという街を訪れたことがありました。ここは、ファッションの街として、またダイヤモンド研磨技術でも有名で、珍しいダイヤモンド博物館もあります。また、有名な画家ルーベンスのゆかりの地としても知られ、彼の家が美術館として公開されています。

 

しかし、何よりも私がこの街に興味を持ったのは、小さい頃から大好きだったあの「フランダースの犬」の物語の舞台となった街だったからです。

 

 

 「フランダースの犬」は、19世紀にイギリス人の女流作家のルイズ・ド・ラ・ラメーがウィーダというペンネームで書いた物語です。彼女は、1871年に実際にこの地を訪れ、翌年この物語を発表しています。”フランダース”というのは、「フランダース地方」というベルギーの一地方の名前です。この物語はイギリスですぐに大きく取り上げられ、その後日本など世界に広まっていったのですが、ここアントワープの人々は、自分たちの街を舞台にして書かれたこの有名な物語のことをずっと知らなかったのです。観光客がだんだんと訪れるようになったことにより、ようやく地元でも知られるようになったのは1985年頃のことです。

 

 

 物語の中で、両親を亡くした少年「ネロ」が、おじいさんと共に住んでいたのは、アントワープの近くにあるホーボーケンという村でした。ネロはパトラッシュと一緒に毎日アントワープまで牛乳を売りに行っていたのですが、その道には現在トラム(路面電車)が走っています。私は、このトラムに乗って、アントワープから村まで行ってみました。

 

 

 村のあちこちには、ネロたちが生きていた当時の様子が偲ばれるものがたくさん残されていました。物語ではネロが仲の良かったアロイスという粉屋の娘がいて、ネロたちがこの粉屋にある風車に向かって伸びている並木道を歩くシーンがよくありましたが、その並木道を私も実際に歩いてみました。この娘の家があった場所には現在小さな風車が復元されていました。実際にその当時このアロイスと同じくらいの年齢の少女がこの粉屋に住んでいたという記録も残っているそうです。

 

 

 ネロは絵を描くことが大好きで、いつの日かルーベンスのような画家になることを夢見ていました。大聖堂にあるお金を払った人にだけカーテンが開けられて見ることができるルーベンスの絵をいつしか見てみたいといつも思っていたのですが、貧しいネロにとってそれは夢のような話でした。このネロが見たかったという絵は、ルーベンスの「キリスト昇架」と「キリストの降架」の祭壇画ですが、これらは実際にアントワープのノートルダム大聖堂にありました。私はその絵を前にして、温かい心と芸術的な才能を持ちながら、それが報われる前に死んでいったネロとパトラッシュのことを思うと同時に、この物語を読んでかわいそうな気持ちで胸が張り裂けそうになったその頃の自分をなつかしく思い出しました。

 

 

 一人の作家の手により掘り起こされた片田舎の少年たちの物語は、このように世界中に紹介され、人々に深い感動を与え、今なお多くの人々の心に生き続けています。そしてきっと今後も消えることなく、永遠に語り継がれていくことになるでしょう。